地域社会や人とのつながりが希薄になることで、自分の立ち位置が見えなくなっている。


例えば、今までは、地域のみんなで協力してやってきたことを、煩わしい共同作業だから、面倒くさいからといって、お金で専門業者に任せてしまう。それによって、煩わしい時間が少なくなって、今までより暮らしに豊かさが生まれただろうか。毎年、お金の工面をする煩わしさが生まれただけではないだろうか。
お金に任せて、煩わしさから離れると、自分の地域との関わりや立ち位置が見えなくなってしまいます。きっと、自分が何を失ってしまったかも、分からなくなってしまう。

もともと、地域の文化が希薄な、新興住宅地では、地域との関わり無しに暮らすことが当たり前だったりしますが、自分の暮らしている地域社会で何が起こっているのか、今何が大切なのか。自分のまわりさえも意識しない生活になってしまっていないだろうか。
 こんなふうに、人が人間として生きている実感が薄れてくると、「毎日、自分は何しているんだろう?」となってしまいがち。もしかすると、そんなことも考えなくなってしまう。煩わしい人と人とのつながりが減るほど、地域はますます生きづらいところになっていくような気がする。

そして、そんな地域で暮らしていると、最終的に自分のまわり、つまり社会が見えなくなってしまう。ただ今までは、見えなくてもお金さえあれば何とかなってきた。そして、過剰にお金に依存する生活スタイルがますます自分と地域を分断してしまう。
 でもきっと、自分のまわりを巻きこんで、煩わしくても何かを一緒にやったりすることが、生きる実感を伴った人間らしい生き方なんだろうと思う。

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