世界を見てきた映像作家が信州に移り住み、古民家と荒廃農地を再生。仲間とともに“地域を耕す”


豊かな自然が残る歴史の里で、移住した女性3人が古民家民宿と農業にチャレンジ

長野県上伊那郡辰野(たつの)町小野(おの)地区。
平安・鎌倉のころから「憑(たのめ)の里」と呼ばれてきた地域で、谷あいの旧街道沿いに宿場町の面影が残り、豊かな自然に囲まれています。

小野、そして辰野が大好きな3人の女性が、ここで一つのプロジェクトに向けて動き始めました。
築150年の古民家をリフォームして、1日1組限定の民宿に生まれ変わらせるとともに、放置され荒れ果てていた農地を改良して、農薬を使わない安全な農業を始めるというものです。

グループのリーダー、鎌仲ひとみさん。
核をめぐる3部作『ヒバクシャ――世界の終わりに』『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』、原発事故後の福島を取り上げた『小さき声のカノン』などの映画やテレビ番組で知られる、ドキュメンタリー映像作家です。
放射能で汚染される自然環境と、脅かされる人と生き物の命について事実を伝える鎌仲さんの作品は、国内外で評価され、これまで数々の賞を受賞しています。
2020年3月公開の『インディペンデントリビング』は、初めてプロデューサーとして制作した最新作です。

「障害者の自立生活を描いた映画です。出てくる障害者の人たちがみんなすごく明るくて。見たらきっと驚きますよ」

鎌仲さんは、2020年、代表を務める映像制作・配給会社「ぶんぶんフィルムズ」ごと、拠点としていた東京を離れて辰野に移り住みました。
映画づくりや大学非常勤講師などもこれまでのようにこなしながらの移住は、思い切った決断のように見えます。なぜ辰野なのか。なぜ古民家、なぜ農業なのか。
そしてここで何をかなえようとしているのでしょうか。

クラウドファンディングで募った資金。300人以上の支援者を得て目標を達成

大型トラックがかろうじて通れる道路から、ささやかな案内板を頼りに恐る恐る進むのは、田んぼのあぜに降りるような細い道。
実際、その道の先には田んぼが広がっています。田んぼの向こうには小さな川があるらしく、かすかに水音が響いています。
そしてさらに向こうには、緑が生い茂る山。秋になったらきっと紅葉が目の前を埋め尽くすはずです。
そんな風景を全部自分のものにできる場所に、古い民家が建っています。

『古民家民宿なないろ』と描かれた看板を掲げた玄関を入ると、すぐに18畳の大広間。
黒々と立派な太い梁や柱。板戸などの建具も昔のままで、使い込まれた色合いですが、白い漆喰の塗り壁は見たところ新しいものです。

「漆喰は私たちで塗り直したんですよね。素人でも塗れる簡単なものですけど」

ほかに客間も3部屋あり、建てられた明治時代から造りはほとんど変わらないようです。
この家に足を踏み入れて思い出したのは、子どものころ遊びに行った父の実家のかつての姿。遠い記憶にある家の様子とよく似ていて、懐かしさが呼び起こされました。
縁側の雰囲気や、階段の造作。日が当たらない北側の部屋の“物置”感など、「そうそう、こんなふうだった!」と、どこも覚えがある感じ。

「この大広間は、畳を外して、長野県産のアカマツのフローリングにしたんです。素足でも温かみがあって気持ちいいんですよね。あとは念願だった薪ストーブを入れるために、床と壁の耐熱補強をして。それ以外は玄関とかを少し直したくらい。新しいものもところどころにあって、いい感じのコントラストになったんじゃないかな」

アカマツフローリングの大広間
三間続きの和室

薪ストーブは、底冷えする寒さをしのぎ、冬でも快適に過ごすためにどうしても欲しかったといいます。

大広間を暖める薪ストーブ

今回のプロジェクトの資金は、クラウドファンディングで募りました。
開始から約1カ月半で、当初の目標金額を達成。
新たに設定した次のゴールにも到達でき、300人近い支援者から総額380万円以上の寄付が届きました。

「本業の映画制作と関係ないお願いだったので不安でしたけど…映画を支援してくれていた方や若い世代が助けてくれて、本当にありがたいですね。皆さんほとんど『小野に行きます!』って言ってくれてます」

古さと新しさが入り交じる民家の縁側からは、山里の景色が大きく広がります。
特別な空間と時間を感じられる場所です。

メディア発信は人の意識を変えるため。じゃあ自分自身は? 出した答えは“農業”

もともとこの古民家と農地は、神奈川県で長年有機農法を実践している農業生産法人「なないろ畑」の持ち物でした。
この団体のメンバーになっていたのが、鎌仲さんと、ほとんどの鎌仲作品で撮影を担当するカメラマンの岩田まき子さん、おかみとして民宿なないろの管理運営を任されている飯田礼子さんでした。
「なないろ畑」の代表者が、福島原発事故の後、放射能で汚染されていない土地を探したところ、見つけたのがこの辰野だったのです。
そこには「万が一の時に、安心して避難できる場所として」という思いもあったといいますが、建物と農地は使われることのないままでした。

左から、岩田まき子さん、鎌仲ひとみさん、飯田礼子さん

そんなつながりから鎌仲さんが辰野を知って、初めて訪ねたのは2018年の秋。
田んぼで稲刈りも体験し、辰野の自然を気に入って、東京から通いながら農作業にいそしみました。

「環境をテーマに30年以上作品を撮り続けてきました。映画というメディアは、見た人の意識を変えることはできますが、『じゃあ自分自身はどうする』と考えた時、環境を守る実践の場が必要だと思ったんです。人間と自然が調和する場は、農業だと実感したんです」

自分で食べる物を安全なやり方で得られる農業は、大きな経済の枠の外にあって、環境も守ることができる。
そう考えて、豊かな自然と関わりながら映画も作っていきたい、と移住を決意します。

「前々から、いつかは東京を離れるつもりでいたんです。なので会社も計画的に小さくしていって。ネットさえつながればどこでも仕事ができる今、東京にいる意味は薄れていますよね。逆に、地方なら居続けられる。このコロナ禍でそれがもっとはっきりしました。うん。いろんなストレスもなくなって、辰野の暮らしで健康的になりましたよ」

都会の人には“窓”として。地元の人には交流の場として。人が集うと、地域を耕せる

使われていなかった古民家を民宿にリフォームし、3反(約3,000平方メートル)の農地で鎌仲さんたち自身が環境に優しい農業を実践しながら、宿泊客が農業体験もできるようにする計画です。

「古民家民宿なないろとなないろ農地は、リフレッシュ、癒やしの場。都会から離れてみたい、自然に触れたいという人たちに開かれた“窓”みたいな存在、一つの希望のようなものになりたくて。人間って、自然の中で一定時間過ごすとエネルギーチャージされるっていうデータもあるんですよ」

常にストレスにさらされる生活から少しの間でも抜け出すリトリート(避難先、隠れ家)の場として、鎌仲さんたちがいつでも“窓”を開けていてくれることは、都会の人々にとってきっと心のよりどころになるでしょう。

そして、古民家の大広間は、地域のイベントスペースとしても活用しています。
演奏会や勉強会、映画の上映会など、あちこちからいろいろな人が集まり、出会う場になります。
イベントがない時でも、地元の人が気軽に立ち寄って茶飲み話をしていきます。150年前からここにあり続ける、地域の風景の一つだからできることです。

また、農地の一角には、地元の方の協力で、小さなあずまやが建ちました。
農作業の合間に休憩していると、近くを歩くお年寄りが自然に声をかけてくれます。時には手作りのお茶うけのお裾分けがあったりと、自然な関わりが生まれます。

シンプルで頑丈な造りのあずまや

「私たちが移住を決めてからずっと、地元の皆さんがすごく協力的で。たくさんの方に助けていただいてます。人の輪が広がって、つながりが生まれています。ただ都会から人が来るだけじゃなく、地域の皆さんにとっても開かれた場所にしたくて始めたので、もうその姿が実現しているのはうれしいですね」

空き家や耕作放棄地の増加は、全国的に、農村地域での重い課題となっています。
地元住民は、何とかしたいと悩み、努力しながらも、決定的な解決策が見えない状況です。
地域の資源でもある古民家と農地が息を吹き返し、そこに多様な人が集まることで、受け継がれてきた自然・モノ・情報・思いが循環する。それを鎌仲さんたちは、“地域を耕す”と言い表します。

「私たちの3反ばかりの農地では大きな力にならないかもしれないけど、ここで人がつながって、土地の豊かさも戻るのを目にすれば、地元の方が希望を取り戻すきっかけになると思うんです。私たち3人もですけど、人が出会うと何かが起こるんですよね。何かの“出会い”がここで生まれたらいいなと期待してます」

未知の農業への挑戦。そして、子どもたちが安心できる保養の場も目指して

なないろ農地の最初の挑戦で育てているのは、お米、マコモ、ブルーベリー、藍。

マコモは、水辺に生える、ススキに似たイネ科の植物。茎が太くなり「マコモタケ」というタケノコに似た食材になりますが、漢方の原料にもなるくらい栄養分が豊富です。
葉を焙煎したマコモ茶は、クラウドファンディングの返礼にも採用。デトックス効果が高いといわれ、もちろん無農薬・無肥料で育てます。

水辺に群生するマコモ
意外と飲みやすい「マコモ茶」

ブルーベリーは、日本で初めてブルーベリーを育てて成功した、長野県信濃町の伊藤ブルーベリー農園から苗をもらい、育て方の指導も受けています。

「ブルーベリーは、水はけのよさと適度な湿り気を両立しないといけないので、土と畑の整備に力を入れてます。小野でブルーベリーが育てば、観光農園としてもお客さんを呼ぶこともできるし。木が十分育つまで5年かかると言われたので、頑張らなきゃ」

6月上旬には、なないろ農園の田んぼで、田植えが行われました。

初めて田んぼに入るというビギナーさんも含め、さまざまな年代が参加した田植えは、機械を使わずすべて手植えというこだわり。
和気あいあいの雰囲気ながらも、丸々1日かかって終了。ここからは鎌仲さんたちと雑草との闘いが始まります。

手動機で丁寧に除草
美味しいお米のために地味な除草が大切

鎌仲さんは、『古民家民宿なないろ』と『なないろ農地』が目指すものについて、こう付け加えてくれました。

「無垢の木で張り替えた床は、ここからまた100年もちますよ。私たちはインフラを整えたり、やりたいことを実現しながら、うまく世代交代して、ここを継いでもらえたらいいですよね。将来的には、原発事故の被害を受けた子どもたちのために、安心して保養ができる場所になれたらと思っています」

目指す未来のために、今、何をするのか。

人の循環を生み出して、地域を楽しく豊かにすること。「ペイフォワード。100年先への投資」と語って、鎌仲さんたちは、たくさんの力に支えられながら歩き始めています。

人が手をかけ、機械や化学物質に頼らない農業によって、そこにいる動物と植物の命が未来まで続きます。
それだけでなく、そこに集まる人と知恵によって、地域に暮らす人たちにも、先へと進む希望が生まれます。
もちろん簡単なことではないし、時間もかかり、さまざまな助けが必要になるのは言うまでもありません。
それでも、今それをどうしても始めなければいけないという強い思いで、鎌仲さんたちは決断しました。
「試行錯誤しながら、まずは楽しんで」という気持ちがベースにある鎌仲さん、岩田さん、飯田さんの素敵なチームワークで、辰野・小野がおもしろい場所になっていくに違いありません。

■古民家民宿なないろ

〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野1033
https://www.facebook.com/kamananairo
◎アクセス
公共交通機関:JR中央線小野駅から歩いて10分。JR塩尻駅、高速バス「長野道みどり湖」バス停までお迎えに上がります。
車:中央道塩尻ICから車で12分/岡谷ICから15分
◎宿泊料金
8,800円(税込)※子ども料金は別
朝・夕食付き(なないろメンバーと一緒に調理していただきます)
◎チェックイン 15:00
◎チェックアウト 10:00
※宿泊受け入れ開始は2021年6月以降

■映画「インディペンデントリビング」オフィシャルサイト
https://bunbunfilms.com/filmil/

■農業生産法人なないろ畑
https://nanairobatake.com/

■ぶんぶんフィルムズ http://kamanaka.com/

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